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東京地方裁判所 平成5年(ワ)1609号 判決

原告

株式会社ベネッセコーポレーション(旧商号)株式会社福武書店

右代表者代表取締役

福武總一郎

右訴訟代理人弁護士

浅岡輝彦

甲斐順子

被告

高力護

右訴訟代理人弁護士

加藤健次

主文

被告は原告に対し、三二万四五六〇円及びこれに対する平成五年二月二〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の、その一を被告の各負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、一〇六万七三二九円及びこれに対する平成五年二月二〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告が、原告の従業員であった被告に支払った平成四年度冬季賞与が過払いであったとして、不当利得返還請求権に基づき、被告に対し、その返還等を求めた事案である。すなわち、原告の主張によれば、原告の就業規則と一体をなす給与規程に基づき作成された平成四年度冬季賞与の支給基準書は、被告のような同年四月一日以降の入社者の賞与額について、同年内に退職予定が有るか否かにより支給内容に差異を設けているところ、原告は、被告には同年内の退職予定がないことを前提として、その同年度冬季賞与の額を一六二万二八〇〇円と算定し、所得税等を控除した上、支給日である同年一二月一四日、一〇六万七三二九円を被告の銀行口座に振込入金したが、被告は同月一六日付けで退職した。右基準書によれば、原告が同年内の退職予定者であることを前提とした場合の賞与支給金額は二八万円であるところ、所得税等の控除項目の合計は二八万円を超えており、結局支払済みの一〇六万七三二九円全額が過払いになるので、被告に対し、その返還及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である平成五年二月二〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるというのである。

一  争いのない事実等

以下の各事実は、括弧書きで証拠を掲げたもの(これについては当該証拠により認められる。)の他は、当事者間に争いがない。

1  原告は、通信教育及び模擬試験の実施等を業とする会社である。

2  被告は、かつて勤めていた化粧品会社を辞めて原告に入社するに当たり、平成四年二月二七日、当時原告の人事課長であった芳賀洋二(以下、「芳賀人事課長」という。)と面接し(以下、これを「本件面接」という。)、原告における労働条件の説明を受けた。そして、後日、同課長に対し、本件面接において説明された労働条件を受け入れる旨を電話連絡し、同年四月一日付けで原告に入社した。

3  原告の就業規則(以下、「就業規則」という。)には、次の規定が設けられている(〈証拠略〉)。

(給与)

四五条 従業員の賃金、昇給及び退職金に関する事項は別に定める給与規程による。

4  原告の給与規程(以下、「給与規程」という。)は、就業規則と一体をなしており、これには、以下の規定が設けられている(〈証拠略〉)。

(賞与)

三四条 賞与は会社の営業成績に応じ、従業員の業績と勤務成績を考慮して支給する。

(支給対象者)

三六条 賞与は支給対象期間末日に在籍し、かつ勤続一か月以上の従業員に支給する。

(支給対象期間)

三七条 賞与の支給対象期間は次のとおりとする。

夏季賞与 前年一一月一日から当年四月三〇日まで

冬季賞与 当年五月一日から当年一〇月三一日まで

(その他)

三八条 その他の賞与の支給に関する事項については、支給の都度、支給基準書で定めるものとする。

5  原告は、平成四年度冬季賞与について、支給基準書(以下「本件支給基準書」という。)を作成し、その中で、支給日は同年一二月一四日、支給基準については、(1)入社後満一年以上経過した従業員については、基礎額(月額基本給及び等級手当の合計額)の三か月分と成績評価を乗じたものに基礎額の一か月分を加算した金額とし(二項)、(2)平成三年一一月一日から平成四年九月一日までに入社した従業員については、基礎額の四か月分の金額とする(六項)、但し、平成四年四月一日以降に入社した従業員で、同年一二月三一日までの退職予定者については、四万円に在月数を乗じた金額とする(一〇項。同項の規定を、以下、「本件条項」という。)旨を定めた(〈証拠略〉。なお、その成立の真正については〈人証略〉の証言によりこれを認める。)。

6  原告は、本件支給基準書六項に基づいて被告の平成四年冬季賞与を一六二万二八〇〇円と算定し、所得税等所定の控除をした上で、一〇六万七三二九円を右支給日に第一勧業銀行銀座通支店の被告の預金口座に振り込み、被告はこれを受領した。

7  被告は、平成四年一二月一五日、私事都合により翌一六日付けで退職する旨を記載した退職届を原告に提出して退職した(〈証拠略〉)。

二  争点

1  原、被告間において、雇傭契約締結時に被告の賞与金額に関する個別的合意が成立していたか否か。

2  本件条項の有効性

三  当事者の主張

1  争点1(原、被告間において、雇傭契約締結時に被告の賞与金額に関する個別的合意が成立していたか否か)について

(被告)

被告は、本件面接の際、芳賀人事課長から労働条件等の説明と提案を受け、賞与については、中途入社者に対しては賞与支給に際しての査定は行わないこと、賞与の基準額は、基本給、加給及び等級手当の合計額であること並びに支給額は夏季が基準額の二・五か月分、冬季が基準額の四か月分であることを説明された。被告は、後日、芳賀人事課長に電話で右条件の下での雇用契約の締結を承諾し、ここに冬季賞与の支給額を基準額の四か月分とすることについての合意が原、被告間に成立した。原告が被告の平成四年度冬季賞与として算定した一六二万二八〇〇円は、右合意に沿うものであるから、過払いはない。原告が被告の平成四年度冬季賞与額を本件条項に基づいて決定することは、雇用契約締結時の合意によって決められた原、被告間の労働契約の内容を、被告の同意なく一方的に変更することになるから、契約法理に照らし許されない。

(原告)

原告は、被告との間において、被告の賞与金額に関し、就業規則、給与規程及びこれに基づく諸規則等に抵触する内容の特別の個別的合意をしていない。芳賀人事課長は従業員の処遇を自由に決められる立場にはなく、本件面接のときに、同人が冬季賞与について「基準額の四か月分」との表現を用いたとしても、これは原告の過去の支給実績を述べたに過ぎず、具体的な内容の個別的契約を被告との間で締結する申込みをしたものではない。

被告は、原告における就業規則、給与規程、これに基づく諸規則、労働慣行の包括的な適用を受けることを承諾しており、知、不知に関わらず、これらの適用を受けるのであり、賞与については給与規程及びこれにより授権された支給基準書の適用がある。

2  争点2(本件条項の有効性)について

(原告)

本件条項は、労働基準法及び民法に反するものではなく、また賞与に関する明文の規定を下回る労働条件を定めたものでもなく、有効である。本件条項及びこれを含む本件支給基準書の性格並びに合理性等については、以下のとおりである。

(一) 性格

(1) 本件支給基準書は、就業規則の委任を受けた給与規程に基づいて作成され、その規定は明文化されているのであるから、就業規則の一部をなすものである。また原告は、既に昭和六二年頃から、早期退職者に対して本件条項と同様の運用を繰返し行ってきているのであるから、本件条項は慣習としての性格をも有している。

(2) 給与規程は賞与の具体的支給額の決定を、支給の都度作成される支給基準書に全面的に委ねているのであるから、具体的な賞与請求権は支給基準書により発生するものである。そして、支給基準書に定める支給基準は、一体として適用されるのであって、ある部分が本則で、他の部分がそれを修正するといった関係にはなく、該当する箇所に従って分類され、それぞれの支給額が決定されるものである。それ故、被告の平成四年度冬季賞与請求権についていえば、そもそも初めから本件条項に基づく金額の範囲においてしか発生していないのであって、基準額の四か月分が本則であるのに、退職の事実により減額されたという性質のものではない。

(二) 合理性等

(1) 賞与額の決定を計算期間経過後の事由の存否にかからせることについて

本件条項は、計算期間経過後の退職という事由の存否を賞与額の決定要素とするものであるが、判例は、従業員が計算期間経過後の賞与支給日に在籍することを賞与支給の要件とすることを有効としているのであって(最高裁判所昭和五七年一〇月七日第一小法廷判決、最高裁判所昭和六〇年一一月二八日第一小法廷判決)、賞与額の決定について、計算期間経過後の事由を考慮することも許される。

(2) 賞与額の決定を支給日以降の事由の存否にかからせることについて

本件条項は、従業員の賞与額の決定を、支給日以降の退職という事由の存否にかからせているが、理論的にあり得ないものではない。すなわち、平成四年四月一日以降の入社者で、同年内に退職する従業員については、将来への期待部分が減殺され、賞与額そのものが初めから本件条項に基づく金額しか発生しないことになるのであり、判例上、退職金について、同業他社に就職した場合に退職金を二分の一とする旨の規定を設けることが有効とされている(最高裁判所昭和五二年八月九日第二小法廷判決)のと同様に、理論的に十分成り立つものである。

(3) 退職予定の有無により賞与額に差を設けることについて

給与規程が「賞与は会社の営業成績に応じ、従業員の業績と勤務成績を考慮して支給する」(三四条)と規定しているところからすれば、業績も勤務成績もおよそ見るべきものがない入社当初の従業員に対しては、賞与額を一般の従業員より低率に定めることが合理的である。そして支給基準書において入社当初の従業員の賞与の支給率を定める場合には、右の実態からこれを低率とすることも、将来への期待を加算し、あるいは入社を容易にするために、政策上一般の社員の平均的成績者と同率とすることも、会社の自由であり不合理なことでもない。そうであるならば、入社当初の従業員の賞与につき、将来における貢献が期待できる者とそうでない者とで異なる支給率を定めることについても何ら問題がないというべきである。

(4) 従業員の知、不知にかかわらず、本件条項を適用することについて

本件条項が、給与規程以下に明文で規定されており、事実たる慣習でもあることからすれば、ある従業員がその存在を認識し、これに従う意思を有していた否(ママ)かにかかわらず、本件条項はその者に対しても効力を有するというべきである。のみならず、被告についていえば、被告は、原告における制度が包括的に適用されることを知っていた上、誰もが見ることができる給与規程には「賞与の支給に関する具体的項目は、支給基準書で定めること」(三八条)と明記されているのであるから、少なくとも賞与の支給率等の具体的項目の決定システム及び「支給基準書」なるものの存在を知り、または知りうべき状態にあり、これを手掛りとして上司または人事部局に赴いて支給基準書の内容を知ることも、それほどの困難なくなしえたのであるから、たとえ本件条項を知らなかったとしても、被告にこれを適用することについて、不合理な点はない。

(被告)

本件条項は、以下の理由により無効である。

(一) 本件条項は、賞与支給日以降の退職という事情によって賞与の額を減額するというものであるが、賞与支給日には原告の従業員に対する賞与の支払債務は確定し、かつ履行が完了するのであるから、賞与支給日以降の事情によって、既に履行により消滅した賞与の支払債務の内容が変更されるということは論理的にありえない。

(二) 労働基準法九三条は、就業規則によって労働条件を明示させ、これを下回る労働契約の締結を防止することにより、労働者の保護を図る趣旨の規定であり、就業規則中、細目の決定を使用者に委ねる旨の規定がある場合にも、使用者が就業規則に明示されている条件を下回る労働条件を決定した場合には、同条違反として無効になると解される。

就業規則と一体をなす給与規程は、三六条において「賞与は支給対象期間末日に在籍し、かつ勤続一か月以上の従業員に支給する」とし、三七条において冬季賞与の支給対象期間につき「当年五月一日から当年一〇月三一日まで」と明示しているのであり、これらを素直に解釈すれば、原告が冬季賞与額の決定に当たり考慮できる事由は、支給対象期間内のものに限られるというべきである。しかしながら、本件条項は右三七条に定める支給対象期間後に生じた事由によって賞与の支給額を減額するというものであり、これが右三六、三七条の規定を下回る労働条件を定めたものであることは明らかである。特に本件では、本来一六二万二八〇〇円となるべき被告の賞与額を二八万円に減額するという、賞与支給自体を否定するに等しい重大な不利益を課するものであるから、このことはいっそう明白である。したがって本件条項は、賞与に関する原告の就業規則(給与規程)の明文に反することは明らかであり、労働基準法九三条に反し、無効である。

(三) 本件条項は、以下のとおり、著しく不合理である上、労働基準法の趣旨に反する不当な意図に基づくものであるから、公序良俗に反する。

(1) 給与規程三六、三七条は、前記のとおり規定しており、就業規則上、従業員が賞与の支給日に在籍していることは賞与支払いの要件とされておらず、実際の取扱いとしても、支給対象期間に在籍していた従業員に対しては、支給日前に退職した場合にも規定どおりの賞与が支払われている。このように原告においては、賞与は基本的に過去の労働の対価として取り扱われているのであって、将来の労働意欲の向上のための給付という意義はほとんどない。したがって、被告の場合にも、支給対象期間に稼働している以上、支給日の後に退職したからといって、賞与の支給額について異なった取扱いをする理由はない。

(2) 被告は、本件支給基準書を見たことがなく、本件条項を知らなかったが、被告以外の早期退職者で本件条項と同様の規定を適用された原告の元従業員も支給基準書の存在自体知らなかったものである。そうしたことからして、本件条項は、賞与の支給日以後早期退職した従業員に対する制裁措置あるいは嫌がらせに他ならず、損害賠償の予定を禁止するなどして、労働者の不当な拘束を排除しようとする労働基準法の趣旨に明らかに反する。また本件においては、本来一六二万二八〇〇円支給されるべきところ、本件条項により、一三〇万円余も減額され、二八万円しか支給されないことになる。これは、退職というそれ自体何ら違法でない従業員の行為に対して、賞与の支給自体を否定するに等しい制裁を加えるということであるから、懲戒事由が存在する場合でも、減給額を一〇分の一以下に止めなければならないものと定めた労働基準法の趣旨に反する。

第三当裁判所の判断

一  (証拠・人証略)、前記争いのない事実等並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

被告は、以前、外資系化粧品会社に勤めていたが、募集広告を見て原告に採用を申し込み、面接の後、平成四年一月下旬頃採用が内定し、同年二月二七日、芳賀人事課長による本件面接を受けて、同年三月二日、芳賀人事課長に入社を承諾する旨を電話で伝え、同年四月一日付けで入社した。被告は、入社当初は原告東京支社の企業事業本部開発部に課長補佐として配属され、同年一〇月一日、同企業事業本部人材開発部に異動した。被告は、希望していた営業の仕事に就くことができない等の理由により原告では仕事の展望を見出せないと感じていたこと及び病気の父親の看病に専念する必要があったことから、同年一二月に入り退職を決意し、同月一一日、直属の上司である東田課長に、できるだけ早い時期に退職したいとの強い希望を伝え、出張中の福島部長にもその旨を電話で伝えた。そして被告は、同月一五日、原告に同月一六日付けの退職届を提出し、同日付けで退職した。

原告の冬季賞与の支給基準書は、例年、中間決算の行われる九月末から一〇月上旬頃にかけ、原告の業績を考慮しながら人事部で起案した上、取締役会に提案されてそこで決定されるという手順がとられており、本件支給基準書も、同様の手順を践んだ上で確定した。本件支給基準書においては、中途入社者のうち、被告のように平成三年一一月一日から平成四年九月一日の間に入社した者の賞与の算定については、基礎額の四か月分とするが(六項)、同年一二月三一日までの退職予定者については、四万円を在月数に乗じた額とする(本件条項)と定められた。このような差異を設けたのは、原告における賞与には、要素的には、当該従業員の実績に基づいて支給する部分と、その将来の活躍に期待して支給する部分があるところ、退職予定者については将来に対する期待値が少ないので、その分金額を押さえる点にあった。

被告の平成四年度冬季賞与は、年内退職予定がないとの前提の下に、本件支給基準書六項に基づき一六二万二八〇〇円と算定され、銀行関係の送金手続は、被告が退職の話を持出す前日の平成四年一二月一〇日までには既に終了していたことから、所得税等所定の控除がなされた後の一〇六万七三二九円が、支給日である同月一四日に、第一勧業銀行銀座通支店の被告の口座に振り込まれた。

二  争点1(原、被告間において、雇傭契約締結時に被告の賞与金額に関する個別的合意が成立していたか否か)について

(証拠略)、被告本人尋問の結果によれば、本件面接は、平成四年二月二七日に、被告と芳賀人事課長の二名で実施され、主に賃金及び待遇の点について話がなされ、その際、芳賀人事課長は原告に対し、年収については、七五九万円余となり、賞与については、夏季は三か月分であるが、原告は中途入社者であるため二・五か月分となり、冬季は四か月分となるといった趣旨のことを説明したことが認められる。一方、(人証略)の証言によれば、中途採用者の採用条件は、岡山県にある原告本社の人事部長の決裁により決定されること、芳賀人事課長は平成四年二月の第一週頃、原告本社の人事部長から中途採用者についての基本的な待遇及び賃金について指示を受けていたことが認められる他、被告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、本件面接の際被告は、芳賀人事課長が被告の処遇を自由に決められる立場にはないことを知っていたこと、芳賀人事課長の説明は、原告において実施されている制度についてなされていることを認識し、被告自身の待遇についても、原告において実施されている制度の適用を受けて決定されることを認識していたこと及び芳賀人事課長から、原告の業績が非常に好調なので、賞与額は夏季二・五か月分、冬季四か月分よりも上がる可能性がある旨の説明を受けていたことが認められる。

以上を総合考慮すれば、本件面接の際、芳賀人事課長が賞与について被告に行った説明は、原告における過去の実施例や平成四年度及びそれ以降に支給される賞与額の見通しに過ぎず、その説明の中で、具体的に支給率及び金額を挙げたことがあったものの、これも右の範疇を出るものではなく、本件面接時に、芳賀人事課長が、被告に対し、賞与の具体的な支給額を提示し、これを内容とする雇用契約の締結を被告に申し込んだものとは認められない。したがって、被告の賞与金額に関する個別的合意が原、被告間において成立したとは認められない。

三  争点2(本件条項の有効性)について

1  本件支給基準書は、中途入社者(本件支給基準書六項にいう「中途入社員」。〈人証略〉の証言及び弁論の全趣旨によれば、原告においては、学校卒業後すぐに原告に入社した従業員ではなく、原告以外で就労していて、転職により原告に入社した従業員をいうものと認められる。)の賞与額について、前記のとおり、六項で「一一月一日~九月一日入社者 基礎額×四か月」とした上、平成四年末までに退職する予定者については、本件条項で「平成四年四月一日以降の入社者、登用者について一二月三一日までの退職予定者は、在籍六か月未満同様 四万円×在月数」と定めており、このような規定の形式及び文言からすれば、本件支給基準書は、平成四年四月一日以降の入社者、登用者について年内退職予定のある者のみ本件条項を適用し、それ以外の者について六条(ママ)を適用する趣旨であると理解でき、本件支給基準書は、平成四年四月一日以降の入社者の賞与として、六項を一般的規定として設け、そのうち年内退職予定者についての特別的規定として本件条項を設けたものと理解される。そうすると、平成四年四月一日以降の中途入社者で同年内に退職する予定の従業員については、本件条項のみが適用されるのであって、一旦、六項により支給日に確定した賞与額が、支給日以降の退職という事由の発生により、本件条項が適用されるに至って減額されるとか、支給日に履行により消滅した債権債務関係が、その後の事情により変更されるというものではない。そして、本件条項の「退職予定者」がどのような従業員を指すのかは、本件支給基準書や就業規則及び給与規程上明確ではないが、前記の本件条項の趣旨からすれば、少なくても、賞与支給日である同年一二月一四日までに年内に退職することが判明している者についてはこれに含まれることが明らかであると解されるところ、被告は、同年一二月に入って退職の意向を固め、同月一一日には、人材開発部の東田課長らに対し、できるだけ早い時期に退職したいとの強い希望を伝えることにより、年内退職の意向を申し出たと認められるから、本件条項の「退職予定者」に該当することは明白である。したがって、原告の平成四年度冬季賞与額の算定には、本件支給基準書によれば、六項ではなく本件条項のみが適用される関係にあることになる。(なお、前記のとおり、被告は、支給日に、六項に基づき計算された金額の振込送金を受けているが、これは、〈人証略〉の証言によれば、原告が賞与の送金手続を同月一〇日までに行っていて、被告から退職の申出があった当日送金取消しの手続を取ろうとしたが間に合わなかった結果に過ぎないことが認められるから、右結論に影響するものではない。また、原告が右一〇日までに振込手続を行ったのは、事務処理上の都合によるものであるから、後記のような本件条項の趣旨に照らすと、右一〇日までに退職予定を明らかにしていなかったことで、被告が本件条項の「退職予定者」に該当しないとすることはできない。)

2  また、本件支給基準書は、就業規則及び給与規程を根拠として制定されるものであるから、就業規則及び給与規程に反する内容の規定を定めることはできないところ、弁論の全趣旨によれば、給与規程三七条が支給対象期間を、夏季賞与につき前年一一月一日から当年四月三〇日まで、また冬季賞与につき当年五月一日から当年一〇月三一日までと定めた趣旨が、賞与の支給率決定に当たり、遅刻、早退、欠勤等を算定して従業員の勤務率、勤怠係数を出すための、支給日前の時点における一定の基準期間を設定した点にあることを認めることはできるが、同条が、冬季賞与額決定上考慮できる事由を、支給対象期間内のものに限定する趣旨をも含むものと解すべき理由は証拠上認められない。したがって、本件支給基準書において、給与規程三七条の支給対象期間外に生じた事由を賞与額決定上の考慮事項としたとしても、同条違反になるとは解されず、他に、賞与額決定のため支給対象期間外に生じた事由を考慮することが、就業規則及び給与規程に反すると認めるべき理由はない。

3  本件支給基準書は、就業規則と一体となる給与規程の委任により作成されたものであるが、多くの企業と同様に、原告における賞与も、原告の業績に応じ、支給の都度その金額を決定するものとしている(給与規程三四条)ので、その時々の状況に応じて柔軟に支給基準を設定しうる「支給基準書」への委任という方法を採ることには合理性があるといえ、その点に瑕疵はない。そして、就業規則と一体となる給与規程に根拠を置き、これを補完する内容のものである以上、支給基準書に定められた内容は、個々の従業員の知、不知に関わらず、従業員一般に適用があると解される。

しかしながら、他方、本件支給基準書が、そのように雇傭契約の内容に関するものである以上、当然に労働基準法及び民法の法令による規制に服することになるし、また、就業規則と一体となる給与規程の委任によるものである以上、就業規則及び給与規程に定められた制度趣旨に反する内容を盛り込むことは許されないことになる。

そこで、前記認定のとおりの趣旨、すなわち賞与額決定の要素として、当該従業員の実績の外、同人に対する将来の活躍の期待を加味することを前提に、退職予定者については、後者の点が小さいという点を理由として、これに対する賞与額を非退職予定者と比較して低額にする条項を定めることについて検討すると、賞与額決定要素として従業員の将来の活躍に対する期待を加味することには一定の合理性が認められるから、その期待が小さい近い将来退職する者について、退職しない者より賞与額が低額になる旨の条項を設けること自体は、それが反射的に退職希望者がより高額の賞与を受給しようとすれば一定期間退職を我慢しなければならないという側面において退職の自由を制約する結果をもたらすとしても、その制約を受ける期間が本件支給基準書のように約半月程度で相当程度を超えていないと見られる場合には、労働基準法及び民法等の法令が禁ずるところではないと解される(このような事態は、例えば賞与支給日に在籍することが賞与支給要件となっている場合にも、賞与を受給しようとすれば結果的に支給日まで退職の自由が制約されるという形で生じうる。)。しかしながら、他方、賞与の趣旨が基本的に当該従業員の実績に対する評価にあり、賃金としての性質を有する場合に、将来への期待の部分が小さいとの理由で退職予定者に対する賞与額を非退職予定者と比較して僅少な金額に止めることとすれば、それは、将来への期待が小さいことを名目に従業員の賃金を実質的に奪うことになり、労働基準法違反あるいはその趣旨に反することによる民法九〇条違反の問題を生じることとなる。

また、就業規則及び給与規程との関係では、給与規程三四条が「賞与は会社の営業成績に応じ、従業員の業績と勤務成績を考慮して支給する。」としていることとの関係で、将来の活躍に対する期待を賞与額決定の要素として考慮することの許容性が問題となりうるが、本来この要素は考慮する合理性が存することからすれば給与規程制定当時から当然の前提となっていたものと推測される上、就業規則及び給与規程がそれ程頻繁に改訂されるものではない性質のものであるのに対して、支給基準書は、毎年二回作成されるという性質上、就業規則及び給与規程が予定していない要素を政策的配慮等から多少加味することが一切禁じられるものではないと思われることからして許容されるものとしてよい。しかしながら、委任の枠を超え、就業規則及び給与規程上の原告における賞与の制度趣旨を阻害する程度に至るまでの内容とすることが許されないことは言うまでもない。

そこで、以下、原告における賞与制度の趣旨を検討した上で、本件条項について右に指摘した法令、就業規則及び給与規程との関係での問題点がないかどうかを検討する。

(一) 原告における賞与制度の趣旨(証拠略)及び既に認定したところによれば、給与規程は、四条で「従業員の給与には、月例給与、賞与、退職金の三種類があ」るとして、明文で賞与を月例給与と同種類のものと位置付け、また、三四条で「賞与は会社の営業成績に応じ、従業員の業績と勤務成績を考慮して支給する。」として、本来過去の内容を意味する「業績と勤務成績」を考慮要素としている。また、三六条で「賞与は支給対象期間末日に在籍し、かつ勤続一か月以上の従業員に支給する。」とし、三七条で「賞与の支給対象期間は次のとおりとする。夏季賞与 前年一一月一日から当年四月三〇日まで 冬季賞与 当年五月一日から当年一〇月三一日まで」として、賞与の支給基準を明確にし、更に、三五条で「賞与には、夏季賞与と冬季賞与がある。」として、賞与を年二回支給することを定めている。

以上からすれば、給与規程は賞与を基本的に従業員の賃金の一種と捉えているものと解される。

(二) 本件支給基準書に従うと、平成四年四月一日以降同年九月一日までに入社した中途入社者である被告の場合、退職予定がなければ一六二万二八〇〇円が支給されるが、年内退職予定があれば在月数七か月として二八万円しか支払われないこととなり、支給額に一三四万円余の差を生じ、退職予定がある場合には、それがない場合の賞与額の一七パーセント余の金額しか受給できないこととなる。前記のとおり、将来に対する期待の程度の差に応じて、退職予定者と非退職予定者の賞与額に差を設けること自体は、不合理ではなく、これが禁止されていると解するべき理由はない。しかしながら、本来の趣旨が賃金と認められる原告の賞与において、過去の賃金とは関係のない純粋の将来に対する期待部分が、被告と同一時期に中途入社し同一の基礎額を受給していて年内に退職する予定のない者がいた場合に、その者に対する支給額のうちの八二パーセント余の部分を占めるものとするのは、いかに在社期間が短い立場の者についてのこととはいえ、肯認できない。本件支給基準書の内容は、六項においては基礎額に応じ、本件条項においては在籍期間に応じ、それぞれ額が変動するのでその相互の割合には変動があるが、被告と同様の条件にあった非退職予定者の場合については、右八二パーセントの部分のうちにも、本来賃金の要素からなる部分が含まれていると解さざるをえない。そうすると、年内退職予定者に対して、その分を支給しないとすることは、実質的に、従業員の賃金を不当に奪うことになり、従業員に対する賃金の支払いを保障する労働基準法(二四条)に反する結果を招致することになる。本件条項は、その限度において、労働基準法の趣旨に反しており、民法九〇条違反であると解される。また、給与規程との関係においても、給与規程が、前記のとおり原告における賞与を基本的に賃金の一種ととらえていることからすれば、実質的に賃金である部分については、退職予定者に対しても支給することを予定しているといわなければならないから、それを下回る支給額しか算出されない本件条項は、その限度において、給与規程の委任の枠を超え、原告における賞与制度の趣旨を阻害するものであり、無効である。

4  原告が一定の範囲内で、従業員に対する将来の期待部分を賞与の趣旨に含めて賞与額に反映させることが禁じられるものではないことは既に述べたとおりである。そして、その範囲・割合については、本件支給基準書に記載された従業員の各類型毎の支給基準を対比し、在社期間の短い中途入社者は将来に対する期待部分の割合が比較的多い類型の従業員であると思われること等の諸事情を勘案し、弁論の全趣旨に照らして判断すると、当時の被告については、これと同一の条件の非年内退職者の賞与額の二割とするのが相当である(被告は、懲戒による減給の制裁の場合との比較を論ずるが、賞与額の決定は、懲戒とは直接関係がないものと考える。)。

さらに、本件支給基準書が年内退職予定者の賞与額を本件条項のみにより決定する趣旨であると解されるのは前述のとおりであるが、本件条項が、非年内退職予定者の賞与額との差を設けることの許された範囲を超えて年内退職予定者に対する支給額を低額にしている部分については効力がないので、年内退職者は、本件条項の定める範囲を越(ママ)え、非年内退職者の賞与額の八割に達するまでの分については、補充的に本件条項の一般的規定である六項に基づき、賞与を受給する権利を有すると解するのが相当である。

以上を被告の平成四年度冬季賞与に当てはめると、被告は本件条項に基づき二八万円を受給できる他、これと六条(ママ)による非年内退職者の賞与額一六二万二八〇〇円の八割である一二九万八二四〇円との差額である一〇一万八二四〇円を六条(ママ)に基づいて受給する権利を有していたと認めることができる。

そうすると、結局被告は一二九万八二四〇円について賞与を受給する権利を有するところ、これを越(ママ)える一六二万二八〇〇円の支給を受けていたのであるから、その差額の三二万四五六〇円については、不当に利得していたこととなる。

四  結論

以上により、原告の請求は、被告に対し、三二万四五六〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成五年二月二〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員の返還を請求する限度において理由があるが、その余は理由がない。また、仮執行宣言については、相当でないと認めるので付さないこととする。

(裁判官 合田智子)

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